農業ビジネスという世界戦争 その2
特別寄稿 国際ジャーナリスト 堤未果(つつみ みか)氏
2019年10月に署名された日米FTA(貿易協定)は、米国をはじめとする世界各地の投資家たちにとって、大きな朗報をもたらした。
外来遺伝子を組み込む「遺伝子組み換え種子」について、農薬と種子のセット売りで世界的ベストセラーとなったバイオ業界もその一つだ。今ではそこからさらに一歩進み、DNAを切断し、狙った遺伝子の特定部位で変異を起こさせる「ゲノム編集」技術に注目が集まっている。特定箇所に組み込むまで何度も狙う必要がある「遺伝子組み換え」に比べ、「ゲノム編集」は大幅な所要時間とコスト削減を実現し、世界中で市場を拡大し続けているのだ。
2020年の大統領選挙に向けて、新時代のドル箱産業として花開いたこの二大技術を通して、大票田のバイオ業界が最大の利益を上げられるよう、トランプ大統領は関係省庁への指示出しに余念がない。 2019年6月5日。USDA(米国農務省)は、新しい遺伝子組み換え作物の大半を、現行の規制対象から外すことを発表した。これによってさらに多くの遺伝子組み換え食物が規制なく市場に出回ることになる。
6月11日。トランプ大統領は「ゲノム編集食品を含む遺伝子組み換え食品の規制見直し」の大統領令を発令、FDA(食品医薬局)、USDA(農務省)、EPA(環境庁)の三大省庁に、6カ月以内に現在の規制を緩和するための対応を命じた。
低グルテンの小麦や黒くならないマッシュルーム、トランス脂肪酸を出さない大豆など、企業や投資家たちの夢は広がる一方だ。そして今、彼らに忖度(そんたく)するトランプ大統領が狙いを定めているのが、他でもないここ日本である事を、一体どれほどの国民が気づいているだろう?
アメリカ国内で加熱するゲノム編集とトランプ大統領の選挙戦にぴったりと寄り添うように、わが日本政府もまた、着々と準備を進めている。
2019年9月。厚労省と消費者庁が発表した、「ゲノム編集農水産物規制」は、遺伝子を挿入していないゲノム編集は安全だ、という立ち位置を明確に表す内容だった。
ゲノム編集食品に安全審査は不要とされ、10月1日から厚労省への届け出だけで販売許可が与えられる制度が始まった。届出は任意で、履行しなくても罰則はない。そもそも消費者庁が生産者・販売者共に表示義務を課さない事を決定したために、スーパーなどで消費者がゲノム編集食品を選別するのは難しいだろう。
政府は「表示義務を課さない」理由について、こう説明している。
「遺伝子の変異がゲノム編集由来か、品種改良由来かを判別できない」
だが本当にそうだろうか?
実は既に、フランスの国立農林水産業研究センター(INRA)から、ゲノム編集技術を施した農水産物判別法についての報告書が出ている。
日本政府とマスコミはこれを黙殺しているのだ。
米国大手のコルテバ・アグリサイエンス社が厚労省に届け出たゲノム編集トウモロコシは、間もなく日本に入ってくる。加工食品になれば、消費者はどこに入っているのか分からなくなり、国内市場は文字通り、「安全性が未知数」の輸入食料で占められてゆくだろう。遺伝子組み換え作物やBSE、農薬や各種添加物と同じように、国を守る壁が崩され、日本国民の食の主権と選択肢、安全保障が確実に危機にさらされる。国が「予防原則」を軽視する政策を進めれば、恩恵を受けるのはバイオ企業、後を追うのは製薬業界だ。「攻めの農業」の掛け声に目を奪われて、いつのまにか足元の土台が崩れていった、米国や南米諸国の轍(てつ)を踏んではならない。
憂国の民ならこう言うはずだ。これを侵略と呼ばずして一体何を侵略と呼ぶのだろう? と。残された時間はあまりない。10年、20年先の土や水、環境や地域産業、子どもたちのいのちと健康は、一体誰が守るのか?
「食と農」は、エゴで暴走する私たち人間を、もう一度原点に引き戻す貴い入り口だ。イデオロギーの違いを超えた、救国の決断と行動が求められている。
本稿は雑誌『表現者 クライテリオン』(啓文社書房)の連載「農は国の本なり」の第10回記事(2020年1月号)を、著者・出版社の承諾を得て要約・掲載したものです。
「農業ビジネスという世界戦争 その1」の要約版はこちら
https://www.zennoh-weekly.jp/wp/article/3252
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