インタビュー 地産地消をアスリートの食卓へ
「高校球児向け栄養教育プロジェクト」に取り組む
立命館大学スポーツ健康科学部 海老 久美子 教授
全農は高校野球に取り組む選手たちのチャレンジを食でサポートするため、立命館大学と「高校球児向け栄養教育プロジェクト」に取り組み、今年度から本格スタートしました。プロジェクトを担う同大学スポーツ健康科学部の海老久美子教授にスポーツと食事のあり方などを伺いました。
野球選手の食事について研究しようと思ったきっかけの一つは2000年のシドニーオリンピック。野球の日本代表チームに管理栄養士として帯同することになり、オリンピックに向けて社会人やプロ野球選手、チームに関わっていく中で、一部ですが、当時の野球選手の常識が分からないことがありました。例えば喫煙率がとても高く、試合のときにベンチ裏に行くと、打席順ごとにたばこが並べてあったり、飲み終えたコーヒーの缶が灰皿代わりになっていました。選手のルーティーンや願掛け、縁起担ぎにもなっていたようです。「こんな感じなんだ野球選手って」と思ったことと、いくら食事のことを言っても、地方の試合会場に行けば、各選手の地元の知り合いが待機していて、食事時間もそこそこに連れて行かれることもありました。選手としてのコンディショニングの考え方が、今とは全く異なっていました。
このステージの選手たちに一から食事の基本を、食育という形で取り入れることは、無理であり、自分の方法でここまでの選手になった人に対し、かえって失礼なことだと感じました。
出版した本の検証で研究者の道歩む
やるべき対象は成長期の高校生や、もっと前の子どもたちだと思いました。1990年代当時、まだ十分に水も飲まないような過酷な練習状況が主流であったのが高校球児でした。オリンピックに向けた活動の中で知り合った社会人野球チームの紹介で、公立進学校を中心にいろいろな高校野球部に出掛けて話をする機会ができました。その一つが滋賀県立彦根東高校です。ただ、行って話をすると、そのときは「いい話を聞きました」と言われますが、その後の選手のモチベーションを保つことは難しく、また、指導者が代わる事で、その継続が難しくなることもありました。野球のコンディショニングのベースとして食のことを残すには、何か作らなければならないと思ったんです。それを形にしようとシドニーから帰国後、企画したのが『野球食』です。それまで回った高校でのことや話したこと、『ベースボールクリニック』(ベースボール・マガジン社)に連載してきたレシピをまとめて出版しました。
出版した際、後に私の師匠になる八木典子先生(甲子園大学副学長・栄養学部長)から「これ書いて、出しっぱなし? もったいないし、選手に失礼よ」と言われました。本を出して実践した人たちの検証が必要じゃないか、「それを出して初めて球児に対して物が言えることになる」と言われ、研究ということは考えていませんでしたが、実証するため八木先生から「修士論文としてまとめてみれば」と勧めていただき、大学院に入り研究として取り組みました。
また、王貞治さんとハンク・アーロンさんが設立した世界少年野球推進財団の中で、全農が特別協賛して開かれる野球教室において、2009年から栄養学の講師を担当したことや、2010年から本格的に栄養サポートを開始した彦根東高校がサポート開始後4年目に夏の甲子園初出場となったサポート内容を元に、今年度から本格的にスタートする「高校球児向け栄養教育プロジェクト」を開始することになりました。
高校生の食が変われば小・中校生も変わる
このプロジェクトを通じ、ちゃんとした食事を当たり前に食べられる野球選手が育つことを願っています。今「ちゃんとした食事」が各家庭で差がありすぎてしまって、普通がなくなっているような気がします。
球児である前に、大事な成長期を迎えている子どもであることを考えれば、心身ともに満足できる食事を取ってほしいと思うのですが、いろんな情報に振り回され食事が食事でなくなっている例もあります。
極端な例では、食事が食事としての形をなさない、コンビニの中で完結するようなスナックと飲み物に、栄養補助食品が加えられているような食卓も目にすることがあります。
日本の食文化が、スポーツ栄養では継承できなくなってしまうのではないか、という危機感もあります。
スポーツ栄養学というと、何か特別なものがあるだろうと考え、疲労を速やかに回復させるには何を飲んだらいいのか、食べたらいいのか、食べさせたらいいのかという発想が、ジュニアから求められてしまうことが問題です。
サプリメントの開発に否定的ではありません。例えば、サッカーワールドカップに限らず、選手にとっての大舞台では、興奮と緊張から、消化吸収能力は落ちがちです。有効な栄養補給のためのサプリメントフードの開発に向けて科学していくことは必要なことです。
ただし、世界中で、成長期にある選手たちにサプリメントを積極的に勧めている国はありません。サプリメントに頼らなければ十分な栄養補給ができないほどの運動量は、健全な成長に影響を及ぼしてしまう可能性があるためです。
スポーツを頑張っている子どもたちは、その分しっかりおいしいご飯を食べる権利があるはずです。
今回のプロジェクトでは、成長期に合わせたちゃんとしたご飯が食べられるための各種データを取り解析を行う予定です。
高校生を対象にしていますが、その下の世代へも伝えたいと思っています。選手たちは自分よりも上の選手を見ているので、高校生が変われば中学生、小学生が変わります。
20年以上、成長期にある野球選手に対し栄養サポートを続けてきましたが、最初の頃は栄養の話をしに行くこと自体、強豪チームには受け入れられませんでしたし、こちらの意図を理解してくれた高校にしか行けませんでした。しかし、食育基本法(2005年7月施行)後「食育」という言葉が定着し、野球の世界でも食に対する考え方が変わってきたと思います。
地域の人たちが育む幸せな子どもたちの食
現在、滋賀県内のJAと連携して、いろいろな取り組みを行っています。東京にいたときには考えられないような、JAや産地が、球児やスポーツ選手に近い存在だと感じています。この近い関係はとてもうれしいことだと思います。
例えば、大学の付属校のアメリカンフットボール部とサッカー部の選手たちに冬の寒い時期には練習が終わった後、おにぎりと共に、野菜がたっぷり入った汁物を出そうという話になりました。地元JAの女性たちがおにぎりとタンパク質が豊富な大豆が入った野菜スープを作って出してくれました。おにぎりをほお張り、温かい野菜スープをいただく選手たちと女性たちのやり取りがものすごく素敵でした。生産農家の方たちにも来ていただいて、「こんな感じで食べているんです」と見ていただくと農家さんもすごく感動してくれます。どこの地域でもというわけにはいきませんが、そういう取り組みが日常的にできる、幸せな子どもたちを地域で育んでくださっている姿だと思ったことがありました。
私の研究室では、地産地消をどうやって選手たちの食卓に取り入れるかということを考えています。その一つが、小麦粉不使用、滋賀県産大豆の丸ごとの粉で作った「アスリートスイーツ」です。また、地元のスーパーとの企画で、地元産の米、野菜をたっぷり使った、選手にもうれしいお弁当の開発も手掛けました。
今回のプロジェクトにおいて、JAからお米を提供してもらうチームでは、どんなふうにチームで使っていくか、その工夫が選手の力になる、と考え、現在検証中です。
公認スポーツ栄養士とJA、地域の連携に期待
今年の夏の甲子園大会が100回を迎えます。日本高等学校野球連盟は「高校野球200年構想」を打ち出し、この先の高校野球のあり方について議論を始めています。この中の「選手の障害予防」のための「栄養」について、現在、プログラムを構築中です。
その担い手となるのが「公認スポーツ栄養士」です。各都道府県の高野連と公認スポーツ栄養士を結び付け、県単位、各地域で食への取り組みが正しくできるようにしていこうという可能性を現在探っています。
各地域のJAの皆さまにも何らかの形で協力いただければうれしいです。相互の連係・協力体制ができ、継続していけたら素晴らしいと思います。
【ことば】
高校球児向け栄養教育プロジェクト 全農は立命館大学と連携し、「米飯と国内産食品を中心とした日本型食生活が、高校球児の心身に及ぼす影響」を調査。2017年度は準備期間で、18年度から本格スタートし、3年間調査して、20年度にデータ分析などの検証を行い、プロジェクトの成果を書籍・冊子にして高校野球連盟を通じて加盟校に配布する他、高校球児向け栄養教育プログラムを開発する。この期間、随時シンポジウムや講演会などを開く予定。全農は調査対象校の一部に毎月400㌔を上限に地元JAの米を提供する。
公認スポーツ栄養士 トップアスリートからジュニア層などチームや団体内で監督、コーチ、トレーナー、医・科学の各専門スタッフと連携し、栄養面から専門的なサポートをするスポーツ栄養の専門家。管理栄養士の資格を持ち、講習、検定試験を受けて、公益社団法人 日本栄養士会と公益財団法人 日本スポーツ協会が共同で認定する資格。認定者は2017年度末で259人(日本栄養士会ホームページから)。