ブランドヒストリー(6)
岐阜県が誇る ブランド和牛「飛騨牛」
岐阜県だけでなく、日本で高い知名度を誇るブランド牛「飛騨牛」。ブランド化に向かい、飛騨牛の名の躍進を誓って尽力した多くの方のたゆまぬ努力がありました。地産地消のブランドとしてスタートして33年。現在は世界へ広がりを見せています。
「飛騨牛」銘柄化の軌跡
1975年代、集団的な和牛の改良がスタートし、1981年には後に“飛騨牛の父”と呼ばれ、ブランドの立役者となる「安福号」が兵庫県から導入されました。1983年ごろから産子が飛騨子牛市場に出回り始めると次々と優秀な産肉成績を収め、1991年には安福産子の取引額は70万円を突破し、飛騨子牛市場を全国トップの座に押し上げました。
その間、さらなる銘柄推進のため、岐阜県や生産者団体をはじめとする県内関係者が一体となり、「飛騨牛銘柄推進協議会」を設立。現在の認定頭数は約1万頭に達し、最上級5等級比率は60%を超え、全国的に見ても高い比率を誇っています。
協議会では飛騨牛農家登録制度や指定店制度を設定し、さらなる銘柄確立のため、関係者一丸となって取り組んでいます。
数々の栄光
和牛のオリンピックと言われる「全国和牛能力共進会」において2002年の第8回大会、2007年の第9回大会と連続して最優秀枝肉賞を受賞し、「飛騨牛」の名を一躍全国に広めました。その後も大きな共進会で好成績を収めるなど、高い評価とともに、飛騨牛の歴史に花を添えています。
地産地消から世界へ
2008年の香港を皮切りに、「飛騨牛」の輸出が開始されました。その後アジア、EU、北米、豪州と、11の国・地域まで販路を広げ、現在では海外に50店舗を超える飛騨牛推奨店を有するまでになりました。東京五輪2020では、岐阜県で事前合宿を行う海外の五輪出場4チームに飛騨牛を差し入れ、選手たちからも大好評でした。
生産基盤の確立にむけて
現在、年々増加する「飛騨牛」の需要に応えるため、素牛の生産基盤確立が急務となっています。
2018年には全国でも初の取り組みとなる岐阜県本部、岐阜県、岐阜大学の産官学一体となった「飛騨牛繁殖研修センター」や、JAひだ、飛騨市とともに「ひだキャトルステーション」を設立し、新規担い手の育成、優良子牛の増頭を目指し、生産基盤の強化と産地の活性化を図る取り組みを行っています。
飛騨牛の今後
先人や関係者の手によって成長を遂げてきた「飛騨牛」。今後も多くの方においしさや満足感を届ける責務を全うし、関係者一丸となって、ブランド牛としてさらなる進化と発展を目指していきます。
※いただいた個人情報は、プレゼントの発送にのみ使用いたします。