持続可能な食と農を海外の政策から読み解く(下)
環境重視型農業と食料の権利
コロナ禍での貧困対策は海外でも議論の的になっています。振り返って我が国の貧困対策における食料支援政策はどうなっているのか。加えて国際社会で感心が高まる「食料の権利」という視点が、今後の食料農業政策、そしてJAグループの道しるべになる可能性があります。海外の農業政策事情に詳しい日本農業新聞特別編集委員の山田優(やまだまさる)氏にご寄稿いただきました。(全2回)
貧困対策力入れるバイデン政権
米国のバイデン政権は8月中旬、低所得者向け栄養補充支援プログラム(SNAP)の給付額を平均で25%引き上げると発表した。一時的なものではなくて恒久措置にする。10月1日から直ちに適用される。昔はフードスタンプと呼ばれていた制度で、クーポン券(現在はプリペイドカード)を食料品店に持っていくと、金額分だけアルコール以外の食品や飲料の購入に充てられる仕組みだ。
新型コロナ禍による経済の混乱で、毎日の食料に困っている人が増えた。2019年に3600万人だったSNAP受給者数は、今年5月時点で4200万人に増えた。米国の人口の3億3000万人と比べると、13%が政府から食券をもらっていることになる。
SNAPを含む低所得者向け食料支援予算は19年度に日本円で6兆6000億円で、21年度に12兆円まで急増した。SNAP補助金は、所得が州で定める一定水準を下回ると申告ができる。「資格があれば申請後3日で受け取れる」と言われ、簡単な手続きですむ。企業の一時帰休や業務量の減少で収入が減った労働者や自営業者が、気軽に短期間のリリーフに使うことも多い。対象世帯は構成人員や収入によって毎月数万円分のクーポンが受けられる仕組みだ。パンや野菜など最低限の食品を買うことができるだろう。最近は農家直売所などでも使える。
地元農畜産物を配布するフードボックス政策も充実させた。農務省予算で国内産の生鮮青果物や乳製品、食肉を地元で調達して箱詰めする。慈善団体や学校などを通じて困っている人たちに直接配る。9000億円近い予算が投入された。
販路が増えるとして農業団体も歓迎した。米議会調査局の報告書によると、20年5月から10月の間に、日本の総人口に匹敵する1億2000万箱が全米で配られたという。実は米農務省の最大の業務はSNAPなど食料支援が占めている。農政関係の予算は全体の3割に満たない。
「政権の有力な支持基盤である低所得者層への大盤振る舞い」という批判はあるが、経済格差を直視してセーフティーネットを大胆に充実させるバイデン政権の選択は、私は正しいと思う。
子どもの貧困広がる
ひるがえって日本。子どもの相対的貧困率は13%あまり。約280万人だと言われる。先進国でも悪い方だ。「30人学級だと4人が経済的困窮家庭の子ども」と考えると、事態の深刻さが分かる。十分な教育や医療、食事を受けられない可能性がある。給食がない夏休みになると、体重を減らす子どもも多いという。一部の開発途上国のようなあからさまな食料不足ではなく、隠れた飢餓が足元で確実に進行している。
この数字は2019年のものだから、新型コロナ禍の影響を考えると、事態はもっと悪化しているに違いない。子どもに限らず、わが国の貧困は深刻だ。
日本政府の低所得者向けの食生活支援は米国などに比べて明らかに見劣りする。民間のフードバンク向けに貯蔵、配送設備への補助金など間接支援があるものの、SNAPのような直接給付はない。
「(セーフティーネットは)最終的に生活保護がある」と菅首相は国会で語った。しかし、厚生労働省の資料によると人口当たりの生活保護率は2%に満たない。低賃金の不正規業務に就くワーキングプアと呼ばれる人たちは生活保護の対象からこぼれ落ちている。
20万トンの国産米を飼料へ
本誌読者なら知っての通り、政府は100万トンの国産米備蓄を持っている。万一の不測時に放出するのが目的だ。近年は5年保管した20万トンを飼料用などに放出している。
一方で子ども食堂やフードバンクへの無償交付が2020年度から始まったものの、わずか数十トンの実績だ。そもそも無償交付事業の目的は食育で、低所得者向けの食生活支援ではない。
大勢の困っている人たちがいるのに、税金を使って20万トンの米をせっせと家畜に食べさせる姿は、何かおかしくないだろうか。
「社会保障を担当するのは厚生労働省と法律で定められており、農水省独自に困窮者を支援するのは難しい」というのが日本政府の説明だ。要は縦割り行政の壁が、政府による国内食料支援の障害になっている。
ならば、政治の出番だ。最も必要とする人たちに国が抱える食料を配布することがなぜできないのか。
例えば飼料用に放出する米20万トンを困っている人たちに無償で配るのはどうか。日々の食費に事欠く人たちに届けることが出来れば、食生活は大きく改善される。仮に280万人の子どもで割れば、1人当たり70キロ余りに相当する計算だ。お金がなくて安いジャンクフードでお腹を満たしている人たちが、米飯中心の食生活に切り替えれば米の消費拡大にも直結するだろう。
実現するためには課題が山積していることは当然だ。
民間流通を圧迫して米価低迷の引き金になる恐れはある。食料支援政策が農家の犠牲の上に成り立つことは避けなくてはならない。米販売農家への補償措置を検討したり、物流や配布の仕組み作りなどがあったりして簡単ではない。入念な制度設計や準備が欠かせないだろう。しかし、数百億円の国費をつぎ込む海外の富裕層にめがけた農産物輸出支援策よりは、納税者の納得を得られるはずだ。
「食料の権利」に関心高まる
日本の食料農業政策に全く欠けているのは、「食料の権利」の視点だと思う。
食料の権利。聞き慣れない言葉だが、国際社会では関心が集まっている。国連が9月下旬に開催する世界食料システムサミットでは、地球温暖化を防ぎ、持続可能な社会を目指すための食料と農業のあり方が話し合われる。食料の安全保障では、単純に食料の数量確保だけではなく、「文化、伝統、健康に配慮した豊かな食生活を得ることはすべての人にとって権利だ」という合意が盛り込まれる可能性がある。
日本の食料安全保障は、これまで万一のときの食料確保をどうするかだけで語られてきた。JAなどの農業団体も、国内生産を増やし食料自給率を向上させるという目標を掲げてきた。どちらも非常時にカロリーを確保さえできれば目的は達成されるという考え方に基づいている。
今、国際社会が描こうとしている食料安全保障の考え方は違う。一人一人の国民が、こぼれ落ちることなく豊かで文化的な食生活を送る権利を、国や社会がサポートしていくことをめざす。非常時だけではなく、日常の食生活全般が問われているのだ。個人の責任を重視し政府が関与しない傾向がある米国ですら、低所得者層への食料支援に本腰を入れている。
低所得者であっても食料の権利を保障する。そのために国があらゆる資源を投じて支援をするという考え方に立てば、日本政府の米在庫の「処理」方法も変わってくるだろう。
農家やJAなど農業サイドにも、食料の権利を実現するための役割が求められるはずだ。安全で環境に優しい農業生産をするのは当たり前。農業のあり方を食料の権利という理念で見直すことが必要ではないか。
最初は小さなステップから始めたい。例えば地元のフードバンクなどと連携して、困窮者に対する支援に取り組むのはどうだろうか。
日本農業新聞の記事データベースで「フードバンク」「JA」「支援」を検索したら、300件近い記事がヒットした。その多くがJAなどがフードバンクへの食料支援を最近始めているという内容だ。
すでに全国で試みは始まっている。「余ったから困っている人たちに恵んであげる」のではなく、「全ての人たちの食料の権利を守るためJAは努力している」と語ることが大切だ。
「高齢化と人口減少で日本市場は縮む一方だ」として、政府は輸出振興の旗を振る。だが、それは大うそだ。国内の食料市場には手つかずのフロンティアが広がっている。
食料の権利を行使できれば、地域で豊かな食生活に結びつく。地元の野菜や果物、米、畜産物への需要は増えるだろう。輸入農産物と結びつくジャンクフード市場を押し返せれば国産農産物の出番となる。
食卓の6割以上は海外からの農産物で占められている。この巨大な市場を取り返すためには、「国産農産物を食べましょう」だけでは不十分だ。農業サイドが食料の権利を掲げ、世界の農業団体や国内の市民団体、消費者などと連帯することで日本の農業の未来が開けてくるだろう。