インタビュー アジアを支える水田農業のこれから
全農技術顧問、京都大学名誉教授 堀江 武氏
京都大学名誉教授で全農の技術顧問を務める堀江武氏は今年6月、「アジア稲作に及ぼす地球温暖化の影響に関するシステム農学的研究」で日本学士院賞を受賞しました。農業気象、稲作の研究に永く携わってきた堀江氏に、地球温暖化による今後の稲作や日本農業の進むべき道について伺いました。
島根県安来市の農家に生まれ、5人兄弟の末っ子で兄や姉とは年が離れていました。小学生の時に兄がなくなり、年の離れたすぐ上の姉が婿を迎え、家業を継ぎました。身を立てるためにと頑張って勉強し、京都大学農学部に入り、卒業後、農林省の研究所に就職しました。農家を継ぐことがなかった私が、稲に関係する研究に永年携わってきたのは、朝早くから働いていた両親の姿を見てきたからだと思います。
優れたシステムの日本の水田農業
これまで世界各国から講演を頼まれて出掛けてきましたが、半分は途上国です。インドやタイ、ラオスなどの農村は、地球温暖化があろうがなかろうが、非常に大変な所です。貧困だし農業生産性が低く、不安定で。村の様子は私が育った昭和20年代の日本と重なって見えました。
食料が足りない、農業がうまくいっていないことが大きな問題です。例えば焼き畑をみると、どんどん山奥に入って焼いてしまうんです。環境問題とリンクしていますが、山を焼くなということでは済まないんです。生きるためですから。そんな無理をしなくてもできる稲作はないかと、この分野の研究に入りました。
現地の農村は、焼き畑とか深水の水田という地域がいくらでもあります。深水というと2㍍も3㍍も水がたまるんですよ。それを見ると日本の水田が、いかに優れたシステムかということが分かります。これまでの農業は粗放ですが、それで食べていける時代は良かったのでしょう。しかし、人口が増え、しかも商品経済が入ってくると、安定して高い生産性を維持できる水田農業の確立こそ、目指すべきゴールです。水田農業は持続的で200年も、300年も持つんです。欧州の畑作で麦を作ると、輪作で回すために2倍も3倍もの農地が必要です。水田だと狭い土地でもアジアの人たちを養えます。北ベトナムでは3反(30㌃)の水田で7、8人を養っていました。年に2回稲を作って、間にトウモロコシとかナタネとかを入れます。種をまいてからでは間に合わないので、苗を育てて植えていました。野菜を作り、土手などの草を刈って牛に食わせ、残飯は小さな池で飼っている魚や豚の餌にして、それに米作り。すべて自給です。あれほど集約的な農業を見たことはありません。
こうしたことは水田農業だからできることです。水田は連作ができる、生産性が高く安定しているからです。アジア、アフリカの半分の田んぼは天水に頼っています。雨が降れば水浸し、乾けば干ばつです。水田の灌漑(かんがい)稲作は、今まで人類が作り出した優れた生産システムといえます。世界の中で最も整備されているのが日本の水田です。水田の写真を比べると、高いところから撮った日本の水田は、あぜはありますがゴルフ場の芝を撮った感じになります。
アジアは水田抜きに発展はあり得ません。アジアの人口は44億人で、世界人口は76億人ですから6割近くの人がアジアに集中しているのは水田のおかげで、畑作では無理です。
平場は大型水田輪作 中山間は個性出して
米の需要が減っている日本ですが、何があっても水田は残さなきゃいかんですよ。問題は水田の使い方です。水田だから稲を作るのが一番いいんですが、昔やっていた裏作の麦だとか、大豆だとか、場合によってはトウモロコシだとかね。平場では、いろんな作物を入れて輪作し、水田の機能を残していくのが一つの方向です。
しかし、麦にしてもトウモロコシにしても単価が安いですから、大規模、機械化で徹底してコストを掛けない、米国の南部・アーカンソー州の稲作がモデルになると思いますよ。日本も大規模法人や大区画の水田ができています。米国並みとはいきませんが、それに近いものができると思います。しかし、水田を畑にすると地力が落ちます。中心は水田で、2、3年に1度は水田に戻すことが必要です。
もう一つは、水田だけでは成り立たないんですが、中山間地などでは付加価値の高い農業、例えば有機栽培とかで差別化していく方向です。結構高くてもいい物を買う層が結構おられるんですよ。6次産業化といわれていますが、加工食品とか、あるいは観光と結び付いた農業も考えられます。個性があり高くても買ってもらえる農産物生産とか、棚田ならその環境的価値を上乗せして売っていくとか。ものすごく多様でどれをやったらいいとはなかなか言えませんが、安全・安心に環境価値、プラスαの個性があって、そういうものを生産者が提供し、それを消費者が大事に守っていくという姿ができないかなと思います。
稲の収量は伸びる 栽培モデル開発を
飼料向けなどで多収米が注目されていますが、私は多収でなきゃいかんと、前から言っています。昭和20年、30年ころは米をたくさん取ればもうかり、国のためにもなると生産量アップに向けてあんなに日本中の農家が燃えた時代はありませんでした。あのころの古い品種ですが「農林29号」とか「金南風(きんまぜ)」で、玄米ですが1㌧(10㌃当たり収量)取る農家がいました。栽培技術だけで今の倍を取っている農家がいたんですよ。多収品種も出てきていますが、栽培技術で収量を上げる余地があり、今の品種でも稲が望む環境ならば1㌧を取れる能力を持っています。それが忘れられたのは、米余りで減反政策が続いたからです。
収量アップのポイントは、栄養と水管理の最適化です。稲が最も好む環境にする栽培モデルをきちんと作り、田んぼをモニターしながら適切な判断を下し管理することで収量増を実現できるでしょう。
地球温暖化で高温不稔(ふねん) 克服の技術開発が課題
日本学士院賞を受けたシステム農学的研究の中で、アジアの稲作が地球温暖化でどんな影響を受けるか、収量が増えるのか減るのかなどを研究してきました。稲に関しては世界の中でも早い段階から研究してきました。温暖化の原因は、二酸化炭素濃度です。光合成の原料ですから稲作にとってはいいことで、基本的には生産性を高める方向に働きます。ただ温度が上がり過ぎると、今問題になっているのが白未熟粒という品質問題です。もっと温度が上がると不稔が出てきます。稲はそんなに高温を好む植物ではありません。出穂期に高温になると不稔になります。温暖化は、北の地方にとっては明らかにプラスですが、南は年によって不稔となり、生産が不安定になります。冷害と同じです。高温不稔を克服する技術開発が課題です。
JAは農家から頼られる存在に
農協は戦後、営農指導や信用事業などで農協がなければ、農家は食っていけない、生活が成り立たないということまで支えてきた存在です。この時代、人間関係もビジネスライクになってきていますが、成り立ちを大切に農家から信頼される存在であってほしいと思います。農村は画一的ではありません。地域、地域でいろいろな違いがあります。県の普及員は減ってきていますが、その中で、例えばICT(情報通信技術)を農家でも使えるようにしていくとか、パソコンを買ったがうまく使えないなどに対応できる、そうした頼れる存在が求められます。さらに、農家組合員と一緒になって地域で新しい技術を作り、定着させる中心になってほしいです。農業はどんどん変わっていくわけですから、新しい農業を始めるためにもJAとその職員は、地域にあって頼れる組織、存在であってほしいと期待します。
日本学士院賞受賞
アジア稲作に及ぼす地球温暖化の影響に関するシステム農学的研究
アジアの基幹食料であるコメの生産に及ぼす地球温暖化の影響と適応策を明らかにする目的で、アジアの主要な稲作気候帯をカバーする水稲の品種・地域比較栽培ネットワーク試験、二酸化炭素を富化した温度傾斜型温室で水稲に対する二酸化炭素濃度と温度の複合的処理実験などによって得られたデータを解析し、大気環境が水稲の生育・収量に及ぼす影響を高い確度で予測する数理プロセスモデルの開発に成功。このモデルに、大気大循環モデルが予測する大気二酸化炭素濃度の倍増時の気候値を入力し、アジア各地域の水稲生産に及ぼす地球温暖化の潜在的影響を明らかにした。さらに、高二酸化炭素濃度・温暖化気候に高い適応性をもつ品種開発の目標形質とその遺伝資源を提示した。これらの研究成果はIPCC報告書など通じて、温暖化防止の国際世論形成に貢献するとともに、内外のさまざまな研究機関で地球温暖化と食料問題の解決を目指す研究に活用されるなど、先導的役割を果たしてきた(日本学士院ホームページから)。